東京地方裁判所 昭和35年(ワ)10752号 判決 1967年11月20日
原告 鈴木吉勝
被告 バンク・オブ・インディア・リミテッド
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一双方の求めた裁判
一 請求の趣旨
「原告と被告との間に雇傭関係が存在することを確認する。被告は原告に対し昭和三三年一〇月以降、復職まで毎月二五日限り金二七〇〇〇円を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに金員の支払を命じる部分につき仮執行の宣言
二 反対申立の趣旨
主文同旨の判決
第二当事者双方の事実上の主張
甲 原告の主張
一 請求の原因
被告は印度国ボンベイ市に本店を置き、東京都および大阪市に、それぞれ支店を設けて、銀行業を営むものであるが、原告は昭和二七年一一月一九日被告に雇われ、その東京支店で自動車運転手として勤務していた。
しかるに、被告は昭和三三年九月二〇日以降、原告との雇傭が終了したとして、原告の就労を拒否するにいたつた。
原告は、それ以前、被告から毎月二七〇〇〇円の賃金を二五日の支払日に支給されていた。
二 抗弁に対する認否
被告主張の後出抗弁事実中、
(一) 被告が原告に対し被告主張の文書を交付して懲戒解雇の意思表示をしたことは認める。
(二) 原告に被告主張の懲戒事由が存在したことは否認する。もつとも、これに関連する被告主張事実中、
1 印度銀行従業員組合(以下、「組合」という。)が昭和三二年四月争議を行つたこと、
2 原告が昭和三三年二月二五日組合用務のため自己および被告主張の組合員三名の外出につき被告東京支店副支配人パルレカに許可を求める旨の書面を提出し、被告主張の時間、外出したこと、
3 組合員織田行雄が同年四月八日職場を放棄したこと、
4 原告が同年八月一四日午前中、パルレカ副支配人に対し同日の昼食時間につき被告主張のように変更または指定すべきことを申入れたこと、同支店における従業員の昼食時間が四五分と定められていたこと、
5 総支配人カブラールが同年八月二六日被告主張の書簡を原告に手交し、一方、組合が右書簡の撤回を要求してスト権を確立し、被告主張の期間ストライキを決行したこと、被告大阪支店の組合員が上京して右ストライキに参加し同支店の業務が阻害されたこと、組合員が右ストライキ中、東京支店の周辺にピケラインを張つたこと、
6 被告が、その主張の懲戒解雇の理由を記載した通告書を原告に交付したこと
は、これを認める。
三 再抗弁
右懲戒解雇の意思表示は不当労働行為または権利の濫用にあたるから、その効力を生じない。
(一) (不当労働行為)
被告がなした右懲戒解雇は組合の弱体化を期し、その団結および活動の中心であつた原告を企業から放逐する意図に基くものであつて、労働組合法(以下、「労組法」と略記する。)七条一号または三号の行為にあたるが、その間の消息は次の事実が伝える。
1 (原告の組合活動)
原告は昭和三一年三月五日被告東京支店の従業員が印度銀行東京支店従業員組合を結成するまで、その中心となつて活動し、右結成と同時に、これに加入し推されて、その執行委員長となり、被告大阪支店の従業員を指導して、同年六月、右支店の従業員をもつて印度銀行大阪支店従業員組合を結成させ、同月中、右両組合が統一して、いわゆる組合が発足すると、その執行委員長に選ばれ、その後引続いて同役職に就き、また昭和三三年二月ないし八月には組合の上部団体たる外国銀行従業員組合連合会(以下、「外銀連」という。)の副執行委員長兼争議対策部長に就任していたが、これが前後を通じて活発な組合運動を行つた。例えば、
(1) 原告は右東京支店従業員組合結成の当初から、他の外国銀行の場合と比較して劣悪な被告の従業員の労働条件の改善を要求して団体交渉(以下、「団交」と略記する。)を申入れ、組合の成立後は、とくに被告の団交応諾を促進するため、駐日印度大使に陳情し、これにより昭和三一年八月ようやく被告に団交を開催させた。
(2) そして、組合は同年末頃から当時、未解決の昇給、時間外手当及び家族手当の支給、賃金支払日確定ならびに退職金および傷病給付制度の確立など、切実な要求を掲げて被告に団交を申入れ、越えて昭和三二年二月ようやく団交を行つたが、被告が、さような最低限の要求にも応じないため、同年四月一日から、ストライキを決行し、同年五月一日中央労働委員会(以下、「中労委」と略記する。)の斡旋に応じて争議を収束したところ、被告が、その結果締結された協定中、昇給に関する部分につき同年七月初旬頃不当な差別を設けて強行しようとしたので、被告に再考を促した。また、組合は、かねて懸案の家族手当支給につき昭和三三年七月にいたり被告と団交したが、その回答が事実上、非組合員たる徳島昭雄だけを優遇する結果となるので、被告の差別的取扱に抗議した。
原告は組合の、かような団交およびストライキなどにおいて、常に組合の中核となり、最も積極的に活動して、その指導的役割を果した。
(3) なお、被告の原告に対する懲戒事由の一部は被告の歪曲した主張を排する限り、正当な組合活動にあたる。
2 (被告の反組合的態度)
被告は組合を極端に嫌悪し、これがため組合に対し団交を拒否し、その運営に支配介入し、また組合員を不当に差別待遇する態度に出た。例えば、
(1) 被告大阪支店長コピカは昭和三一年五月二三日、同支店従業員に対し組合結成または加入の意思の有無を個別に質問し、かねて用意の紙面に回答を記入させ、その一部に対しては、「東京支店の組合は運転手(原告)の煽動によるものである。君達は組合など結成しないよう」と申向け、また、同支店における組合結成準備の中心的活動家に対しては同年六月一一日組合結成を煽動したとして殴打するなどの暴行を加えたうえ、その後も、連日のように苛酷な作業を強いるとともに平常許されている就業時間中の喫煙を禁止するなどして、組合の結成を妨げた。
(2) 被告は同年三月東京支店従業員組合から、また同年六月組合から相次いで団交の申入を受けながら、駐日印度大使の勧告によつて前記のように同年八月これに応じるまでの間、正当の理由なく団交を拒否した。
(3) 被告は同年末、組合から労働条件としては最低限の前記要求に関し団交の申入を受けながら、これを無視し、昭和三二年初頭には正当の理由なく、これを拒否する態度を示し、同年二月には一応団交に応じたが、組合の要求を認めなかつた。そこで組合がやむなくストライキを決行することとし、その時期を同年三月二五日からと定め、その旨を事前に被告に通告し、斗争上、最も重大な段階を迎えていた折柄、被告は同月下旬、当時としては緊急の必要もないのに、ことさら大阪支店に支店長代理なる地位を設けて、組合大阪支部の団交委員代表として上京中であつた組合の重要人物たる谷村干城を組合に一片の通告もなく右職位に昇格させて組合を脱退させ、これによつて組合の団結の弱化を図つた。
(4) 被告は組合の右要求に関し中労委の斡旋案を受諾して同年五月一日組合との間に協定を締結し、これにより従業員の賃上げについては同年四月以降、平均一八パーセントの賃金増額をすること、ただし、そのうち一〇パーセントは一律に増額し、残八パーセントは、これに相当する金額をもつて同年度定期昇給と見合わせ、かつ家族の多い者の賃金改善を配慮して各人の賃金調整に充てることを約し、これに基き同年五月頃一律一〇パーセントの増額分を支給し、同年七月初旬頃、残八パーセントに相当する金額をもつて、まず扶養家族一人当り二五〇円、次で従業員一人当り八〇〇円に割り当てて、これを支給した(ただし、東京支店においては当時傷病休暇中の織田行雄を除いて、)が、東京支店における、その残額一一〇〇円については、本来の目的たる同支店従業全員(ただし、右織田を除く八名)の賃金調整に用いることなく、なんらの合理性もないのに非組合員岩瀬雅楽に四〇〇円、組合員ではあるが組合に非協力的であつた岸重道(同年八月一九日には組合を脱退した。)に四〇〇円、同じく徳島昭雄(同年七月二六日には組合を脱退した。)に三〇〇円と配分して、右三名を優遇し、組合の再考方要求に対し首肯できる説明をしないで、右配分を強行実施した。
(5) 被告は同年五月(右賃金調整配分前)組合から組合員織田行雄の傷病休暇中の給与支給方を要求されたが、見舞金一封で処理すべき旨を回答し、組合がこれを不服として交渉を継続中、組合員岸重道を抱き込み同、人を介して織田に見舞金を送り届け、一方的に結着を付けた。
(6) 被告の副支配人パルレカは組合員徳島昭雄の組合脱退前、同人から多額の金借申込を受け、同人の日頃の迎合的態度を買つて、これに応じ、同人の反組合的態度を助長した。
(7) 被告は原告が昭和三三年二月二五日午前一一時頃他の組合員三名とともに外銀連所属の印度支那銀行労働組合の斗争支援集会に参加するため、その旨を記載した外出届を副支配人パルレカに提出し、業務に格別の支障がなかつたので労使慣行上、許可されたものと判断して、午後二時頃まで外出したところ、組合の中心的活動家たる原告だけを対象に、翌二六日右外出を許可しなかつたとして始末書の提出を求め、さらに、その後、外出の二時間一五分に対応する賃金を削減した。
(8) 被告は従前、組合員の欠勤遅刻を厳しく咎めていたが、被告に迎合して組合を脱退した徳島昭雄に対しては同人が平素も欠勤遅刻を重ね最も不良な勤務状況にあつたうえ同年五月二六日から三日間無断欠勤したにかかわらず、他の組合員の面前では譴責したかのように装いながら、正式にはなんらの処分もしなかつた。
(9) 被告は組合の家族手当支給の要求につき同年七月組合との団交において、妻につき一五〇〇円、第一、二子につき、いずれも五〇〇円を支給し、その余の家族については支給しないこととし、同日から実施する、但し昭和三二年四月以降に婚姻した者に対しては、その婚姻時に遡及して実施するという回答を示したが、右遡及実施の適用を受けるのは組合脱退者たる徳島昭雄ただ一人であり、しかも、被告が同年五月に実施した賃金増額の一部を賃金調整の名目で扶養家族一人当り二五〇円に割り当てて支給するに止めたことと対比すると、金額においても右徳島を優遇するものであつたから、組合の抗議するところとなつたにかかわらず、組合を首肯させる回答をしないで、右回答を強行実施した。
(10) 被告は原告が昭和三三年八月一四日組合の執行委員会の決定に基き他の組合員二名とともに印度支那銀行労働組合の斗争支援に赴く必要上、組合を代表して原告を含む右組合員三名の昼食休憩時間の変更等を副支配人パルレカに申入れ、これに対するパルレカの措置に組合の右申入を無視する態度を察して、これを質したところ、同月二六日その際の原告の言動を捉えて組合の名による経営への干渉であると曲論して原告に対し総支配人カブラールの名による書簡をもつて懲戒処分を予告し、これによつて、原告その他組合員の組合活動に公然と挑戦し、その後組合が右書簡の撤回を求めて団交を申入れたが、右書簡は原告個人の問題であつて、団交事項ではないと強弁して正当の理由なく、右申入を拒否した。
(二) (解雇権の濫用)
また、原告には懲戒解雇に値する非行がなかつたから、原告に対する懲戒解雇の意思表示は被告の恣意に出たものであつて、権利の濫用にあたり、効力を生じない。もつとも被告が原告に示した解雇通告書は原告が前記書簡の撤回を要求して組合員に争議行為を行なわせ、理由なく銀行業務を停廃させたことを解雇事由として掲げるが、右争議行為は目的および手段とも正当なものであつたから、懲戒事由として成立しない。仮に右争議中に違法な行動がみられたとしても、それは団体行動である以上、原告ひとりの責に帰すべきものではない。
乙 被告の主張
一 請求原因に対する答弁
原告主張事実は原告の賃金月額の点を除き、これを認める。原告の解雇当時における賃金月額は二五七三五円であつた。
二 抗弁
被告は原告に後記懲戒事由が存在したので、被告の従業員として適当でないと判断し、昭和三三年九月二五日原告に「一貴殿は印度銀行東京支店従業員組合委員長の地位を利用して貴殿個人に対する当銀行の本年八月二六日附書簡に対して、これを組合に対する弾圧行為と故意に曲解し、その書簡撤回を理由として直ちに組合員をして争議に突入せしめ、理由なく銀行の業務を停廃せしめた。二これは極めて違法な争議行為であり、かかる争議にならしめた貴殿の行動は雇傭契約の本旨に照らし、従業員としてあるまじき行動であり、銀行の被害も多大であるので、その行動の停止を強く要請したにも拘らず、なお続行されるし、且つ日頃の貴殿の行動をも勘案して、已むを得ず当行は九月二〇日附を以て貴殿との雇傭契約を解除し貴殿を懲戒解雇に附する」と記載した通告書を交付して懲戒解雇の意思表示をした。
(懲戒解雇の事由)
原告の懲戒事由は次のとおりである。
(一) 原告は被告の従業員として上司の指示命令に従い忠実に職務に服すべき義務があるのに、組合の執行委員長の地位にあることを意識する余り、日頃から上司に対し侮辱的もしくは反抗的態度を示し、また組合活動の限度をわきまえないため職務に違反する独断的行動をし、被告の経営に対する不当な干渉にわたるなどして、職場の規律を紊した。例えば、
1 昭和三二年三月二七日、原告は副支配人パルレカに手渡すべき郵便物を不作法に客溜りの四、五フイート先からカウンター越しに同人の机上に放り投げた。
2 同年四月組合の争議中、原告は被告の東京支店を来訪した顧客バルバルカが同支店を去るに際し、その片腕を無理に引張つて通行を阻止して、同人に傷害を与え、また、その着衣を引裂いた。
3 昭和三三年二月二五日、原告は午前九時三〇分頃副支配人パルレカから自動車を午前一一時三〇分までに総支配人カブラール宅に差し廻して同人を出迎えるべく命じられたが、午前一〇時三〇分頃パルレカに組合用務のため他の組合員三名とともに午後〇時から一時まで外出することにつき許可を求めて、これを拒否され、特にカブラール出迎えの用務を果すべく注意されたのに、午前一一時頃再びパルレカに午前一一時から午後二時までの外出につき許可を求める旨の書面を提出し、折柄来客と用談中のパルレカから用談の済むまで許否を待つべく指示されたのも無視して直ちに外出し午後二時まで帰行せず、右用務も果さなかつた。
4 同年四月八日原告は被告の東京支店メツセンジヤー係をしていた組合員織田行雄に指示して組合の職場大会出席のため就業時間中に職場を放棄させ、これがため被告の東京支店から大阪支店への送金小切手の発送を遅延させた(なお、当時、組合は争議状態になかつた。)。
5 同年八月一四日午前中、原告は副支配人パルレカに対し、同日の昼食休憩時間を組合員原田実および岩本正子につき午後〇時一五分から一時までに変更し、原告につき右同時間に指定すべく申入れ、パルレカが一〇分以内に検討して回答することを約したうえ、右時間に最も繁忙な手形、小切手交換業務を担当する右原田から業務上の都合を聴取するため同人を呼ぼうとしたところ、不当にも、これに介入し組合活動の必要によつて右要求をした以上、原田を呼んで話合うべき筋合はないと言つてパルレカを難詰し、同人と約一〇分間、押問答をして、その業務を阻害した。
東京支店においては従業員の昼食休憩時間を四五分間と定めるとともに、銀行業務の公共性および特殊性から一斉に昼食休憩を摂るのを避け、従業員各自につき、その担当業務の関係を考慮して個別的に時差休憩の時間を定め(原田については午後〇時四五分から一時三〇分まで、岩本については午後〇時から四五分まで。但し、原告については運転手たる職種のため、日毎に指定を受ける定めであつた。)、その割当時間の変更を希望する者がある場合には、副支配人において、申出に基き業務に支障のない限り許可する建前になつていたのであるから、パルレカが原田の昼食休憩時間の変更を決するのに同人から業務上の都合を聴取しようとしたのは職責および権限上、当然の措置であつた。
(二) 被告は原告の所為をみて同月二六日総支配人カブラールの名において原告に対し今後さような不都合な所業があれば、適当な懲戒手段を講ずべき旨を記載した書簡を手交して警告した。右警告は、もとより原告の将来を戒しめたにすぎず、これによつて、懲戒処分を予告し、または組合員の基本的労働条件を左右すべく脅したものと非難さるべきいわれはない。ところが、原告はその非を認めず、かえつて自己弁護のため、ことさら右書簡が組合に対する不当な攻撃、挑戦であると吹聴し、組合の執行委員長たる地位を利用して組合員を煽動し、組合をして右書簡の撤回要求の名のもとにスト権を確立させ同年九月八日から同年一〇月二二日までストライキを決行させた。そして組合はその間において、被告の大阪支店の組合員を支援のため上京させて同支店の業務まで著しく阻害し、一方、被告の東京支店から非組合員を追出したうえ、その周辺に支援団体員約五〇名の援助を藉りてピケラインを張りめぐらし、一時は(同年九月八日から一〇日午後八時頃まで)同支店の店舗を完全に占拠し、その後も総支配人カブラール、副支配人パルレカ、支配人補佐ナバルカ、支配人代理岸浪義質の出入を認めるだけで、非組合員はもちろん、顧客の出入さえ殆んど認めず、同支店の正常な業務運営を完全に妨害し、ひいては日印間の国際取引に悪影響を及ぼし、被告の国際信用を失墜させた。また、組合は右ストライキ中、右店舗の窓、外壁、天井等に無数のビラを貼布して建物を汚損し、屋上に赤旗を掲げ、あまつさえ同店舗の賃貸人たる野村建設工業株式会社の社員の出入まで阻止したため、被告は右会社から、これを理由に同年一二月三一日以降の賃貸借更新を拒絶されるにいたつた。すなわち右争議行為はその目的および態様において違法というほかなく、原告は組合の執行委員長として、これを指揮し、率先実行した責を免れるものではない。
三 再抗弁に対する答弁
(一) 被告の原告に対する懲戒解雇の意思表示が原告主張のような不当労働行為の意図または恣意に出たものであることは否認する。
(二) この点に関連する原告主張事実は、
1 原告主張日時、被告東京支店の従業員が印度銀行東京支店従業員組合を結成し、同時に原告がこれに加入し推されて、その執行委員長となり、被告大阪支店の従業員が印度銀行大阪支店従業員組合を結成し、右両組合が統一して、組合が発足し、同時に原告が、その執行委員長に選ばれ、その後引続き同役職に就き、また、その主張の時期に外銀連の副執行委員長であつたこと、
2 原告が右東京支店従業員組合または組合の執行委員長として被告に労働条件につき団交を申入れ、これに関し駐日印度大使に陳情したこと、
3 組合が原告主張の諸要求を提出して(その時期は昭和三一年末頃ではなく昭和三二年三月一八日である。)被告と団交し、原告主張の時期にストライキを行い、原告主張日時、労使双方が中労委の斡旋に応じて争議を収束したこと、被告が、その結果組合と締結した協定中、賃上げに関する部分が原告主張の内容であつて、これにつき原告主張の時期に、同主張の内容(不当な差別を設けたものではない。)をもつて実施しようとし、また原告主張の時期に組合に家族手当支給につき原告主張の内容(徳島昭雄だけを優遇する結果となるものではない。)を回答して、これを実施したこと、
4 組合が前記ストライキを事前に被告に通告したこと、被告が原告主張の時期に大阪支店勤務の谷村干城を職制(支店長代理ではなく、支配人代理である。)に昇格させたこと、
5 被告の副支配人パルレカが徳島昭雄から金借申込を受けて、これに応じたこと、
6 被告が原告に対し、その主張日時、許可なく外出したとして始末書の提出を求め、また外出時間に対応する賃金を削減したこと、
7 徳島昭雄が原告主張の期間、無断欠勤し、これに対し被告が処分をしなかつたこと、
8 原告が、その主張日時、原告を含む組合員三名の昼食休憩時間の変更等を副支配人パルレカに申入れたこと、被告が原告主張日時、総支配人カブラールの名による書簡を原告に手交したこと、組合が右書簡の撤回を要求して被告に団交を申入れたこと
に限つて、これを認める。
第三証拠関係<省略>
理由
一 被告が印度国ボンベイ市に本店を置き、東京都および大阪市にそれぞれ支店を設けて銀行業を営むものであること、原告が昭和二七年一一月一九日被告に雇われ、その東京支店で自動車運転手として勤務していたこと、ところが被告が昭和三三年九月二五日原告に対し被告主張のような記載のある書面を交付して同月二〇日付で懲戒解雇する旨の意思表示をしたことは当事者間に争いがない。
二 ところが、成立に争のない乙第六、七号証、証人エヌ・エス・パルレカの証言により真正に成立したものと認める乙第八号証の一、二によれば、被告が作成して昭和三三年三月一一日中央労働監督署に届出た就業規則には被告の従業員に対する懲戒に関し規定が設けられていなかつたことが認められ、また原、被告間の雇傭契約において懲戒に関し格段の取極めをしたことを認むべき証拠はない。そして原告本人尋問の結果によれば、被告においては同年八月頃従業員の退職金制度(但し、その内容は証拠上、詳らかでない。)が設けられたことが認められる。しかし、考えてみると、使用者は労働者に対し就業に関する指揮命令権に基く固有の懲戒権を有するとともに契約法理上、一般に労働契約の解約告知権(解雇権)を有する以上、就業規則及び個別的労働契約において懲戒に関する特別の定めがない場合においても、本来さような定めがなければ労働者に課することのできない退職金受給資格停止等の不利益を伴わない限り、懲戒処分として労働者の即時解雇をなし得る理であり、また懲戒解雇の意思表示は労働契約の終了を効果意思とする点においては通常の即時解雇と少しも異るところがなく、ただ、専ら懲戒事由の存在を縁由とし、かつ企業秩序の維持確立を目的とする点に特異性があるにすぎないから、たまたま退職金受給資格を停止する趣旨でなされたとしても、その点の効果が生じないだけで、労働契約終了の効果発生を妨げるものではないと解するのが相当である。したがつて、被告が原告に対してなした懲戒解雇の意思表示は原告の退職金受給資格の停止如何を度外視すれば、一般の懲戒解雇と同一の法律事実として、なお意味があるものといわなければならない。
三 そこで進んで、右懲戒解雇が果して被告主張の懲戒事由を備え原告を懲戒するに値したか、これと部分的には表裏する関係において原告主張のように解雇権の濫用に当るか否か、さらにまた原告主張のように不当労働行為を構成するか否かについて審究する。
(一) 被告主張の懲戒事由の存否について
1 成立に争のない甲第二三号証、証人エヌ・エス・パルレカの証言および原告本人尋問の結果(但し、後記措信しない部分を除く。)によれば、原告は被告の東京支店において自動車運転の業務のかたわら、行内における郵便物の受渡にも従事していたが、昭和三二年三月二七日同支店の副支配人エヌ・エス・パルレカに手渡すべき郵便物を同人が着席していた机に向けて、その右脇のカウンター越しに放り投げ、同人がその無作法を咎めようとしたところ、これを無視して立去つたことが認められ、右認定に反する原告本人の供述部分は措信しない。
2 組合が昭和三二年四月中、経済要求のもとにストライキを行つたこと、原告が当時、組合の執行委員長であつたことは当事者間に争がないところ、成立に争のない乙第二七号証の一、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める乙第三〇号証および証人エヌ・エス・パルレカの証言によれば、原告は右ストライキ中、印度人バルバルカが被告の顧客として東京支店に立寄つた際、同人に争議協力方の説得を試みようとして拒絶されると、同人を力づくで引き寄せ、その勢いで、同人の着衣がほころんだことが認められる。そして、原告本人尋問の結果中、バルバルカは当時争議破りとして被告に雇われたものであつて、これがため原告はバルバルカに争議破りの中止を説得したにすぎない旨の供述部分は採用するに足りない。
3 原告が昭和三三年二月二五日副支配人パルレカに組合用務のため他の組合員三名とともに外出するについて許可を求める旨の書面を提出し、午前一一時頃から午後二時まで外出したことは当事者間に争がなく、前出乙第二七号証の二、第三〇号証、成立に争のない甲第一三号証の一、乙第二ないし第四号証、証人エヌ・エス・パルレカの証言により真正に成立したものと認める乙第一号証、同証人および証人井上次郎の各証言ならびに原告本人尋問の結果(但し、後記措信しない部分を除く。)によれば、原告は組合が外銀連中央執行委員会から、その傘下の印度支那銀行労組の斗争支援集会に参加すべき旨の指令を受け、執行委員会において執行委員長の原告のほか組合員の井上次郎、井上義雄および織田行雄の四名の参加を決定したので、これに基き、右外出に及んだものであること、しかし、原告はこれより先午前九時三〇分頃副支配人パルレカから午前一一時三〇分には自動車を被告の在日総支配人兼東京支店長テイ・エル・カブラールの私邸に差し向けて同人を出迎えるべく命じられていたところ、午前一〇時三〇分頃パレルカに右組合用務のため右三名の組合員とともに正午から午後一時まで外出するについて許可を求める旨の書面を差出し、折柄来客と用談中のパルレカがこれを一読して勤務時間中に組合用務のため外出することは許されないとして拒否すると、午前一一時頃再びパルレカに書面をもつて原告については午前一一時から午後一時まで、他の組合員三名については正午から午後一時まで右同用務のため外出を求め、用談継続中のパルレカから用談を了するまで許否の回答を待つべく指示され、併せてカブラール出迎の用務のあることにつき念を押されたのに、これに従わないで直ちに外出し、午後二時まで帰行せず、カブラール出迎の任務を怠り、同人をしてタクシーによる出勤を余儀なくさせたこと、これがため、原告は被告から将来同様の行為を重ねたときは、被告の措置に甘んずる旨を記載した始末書の提出を求められたがこれに応じなかつたこと、さらに原告は右外出時間に相応する賃金の削減をも受けたが、他の組合員三名は休憩時間の範囲内で(各人の昼食休憩の摂り方について時差が設けられていたことは後記のとおりであるが)、外出するに止つたため、被告から格別の措置を受けなかつたことが認められ、原告本人尋問の結果中、右認定に反する供述部分および被告には勤務時間中であつても業務に支障がない限り、従業員の外出を許可する労働慣行があつた旨の供述部分は、信用することができない。
4 組合員の織田行雄が同年四月八日職場を放棄したことは当事者間に争がなく、証人エヌ・エス・パルレカの証言および原告本人尋問の結果(但し、後記措信しない部分を除く。)によれば、織田は当時、被告の東京支店のメツセンヂヤー係として手形、小切手等の送付に従事していたが、その勤務時間中たる同日午後〇時三〇分頃副支配人パルレカから大阪支店への送金小切手を午後一時の手形交換に間に合うよう三井銀行に送付すべく命じられたのに組合執行委員長の原告の指示に従つて、右任務を放擲して組合の職場集会に出席したものであること、これがため被告は大阪支店の金繰りに支障を生じ、信用回復に苦労したことが認められ、右認定に牴触する原告本人の供述部分は措信し難い。なお原告本人尋問の結果中には、当時、組合は被告に対し定期昇給および賃上げの要求を提示し、争議状態にあつたので、既にスト権を確立し正午からの一斉昼食(被告において平常時に業務の都合上、昼食休憩の摂り方に時差が設けられていたことは後記のとおりである。)の争議行為を行つて、職場集会を開いたものであつて、織田の職場放棄も正当な争議行為である旨の供述があるが、右供述部分も証人パルレカの証言に照らして、たやすく信用することができない。
5 被告の東京支店において従業員の昼食休憩時間が四五分と定められていたこと、原告が同年八月一四日午前中、副支配人パレルカに同日の昼食休憩時間を組合員原田実および岩本正子につき午後〇時一五分から一時までに変更し、原告につき右同時間に指定すべく申入れたことは当事者間に争がなく、前出乙第三〇号証、成立に争のない甲第一四号証、第一六号証、乙第九号証、第二七号証の一、第二九号証の三、証人井上次郎、原田実、岩本正子、岸浪義質およびエヌ・エス・パルレカの各証言ならびに原告本人尋問の結果(但し、井上、原田、岩本および原告の各供述は、いずれも後記措信しない部分を除く。)によれば、当時、被告の東京支店においては行務の都合上、従業員の昼食休憩時間に時差を設け、原田については、同人が手形、小切手の交換に関する記録等に従事し通常午後〇時三〇分過まで離席を許されない状況にあるため、午後〇時四五分から一時三〇分まで、タイピストの岩本については正午から午後〇時四五分までと、それぞれ、昼食休憩時間を指定され、また原告については時ならず自動車運転に従事することがあるため休憩時間を予め特定せず、そのつど申出て指定されていたこと、ところが、組合は外銀連から、その傘下の印度支那銀行労組の争議支援を要請されたので、執行委員会において執行委員長の原告のほか、組合員の原田および岩本の三名を同日午後〇時一五分から一時までの間、右争議支援に派遣することを決定し、これがため右三名の昼食休憩時間につき前記のような変更または指定を受ける必要が生じたこと、そこで、執行委員長の原告および書記長の井上次郎は組合の意向に基き同日午前九時三〇分過、被告の東京支店総支配人室において当時、在日総支配人兼東京支店長のカブラールが大阪支店に出張中のため、その職務を代行していた副支配人パルレカに口頭で昼食休憩時間に関する前記申入をしたものであること、これに対しパルレカは執りかかつていた郵便物の閲読を了した後、原告らに一〇分以内に許否を回答する旨を告げ、原田から、その業務の都合を聴取するため同人を出頭させようとしたところ、原告は大声で「何故、原田を」と言つて詰問し、組合が、その必要を認めて申入れた事柄につき組合の代表者を差し置いて処理するのは不都合であるとしてパルレカの非を鳴らし、同人がいきおい副支配人として従業員に出頭を求めるのは権限上当然であると反駁し、再三退室を促したが、よういに応じなかつたこと、そこで、パルレカがやむなく東京支店の日本人顧問岸浪義質の堪能な通訳により原田に出頭を求める理由を説明したので、原告はようやく納得して退出したこと、なお、パルレカは、その直後に出頭した原田に、その業務を他の従業員に依頼すべく申し付けたうえ、原告らにその申入を許可したことが認められ、右認定に反する証人井上次郎、原田実、岩本正子および原告本人の各供述部分は採用し難い。
6 被告の在日総支配人カブラールが同年八月二六日原告に対し将来右のような不都合な所業があれば適当な懲戒手段を講ずべき旨を記載した書簡を手交したこと、これに対し組合が右書簡の撤回を要求して、スト権を確立し同年九月八日から同年一〇月二二日までストライキを決行し、その間において被告の大阪支店の組合員が上京して右争議に参加し、また組合員が東京支店の周辺にピケ・ラインを張つたことは当事者間に争がなく、前出甲第一四号証、第一六号証、乙第二七号証の一、第三〇号証、成立に争のない甲第一五号証、第一七ないし一九号証、証人エヌ・エス・パルレカの証言により真正に成立したものと認める乙第二二号証、第二五、二六号証、第三五号証、証人重田実の証言により真正に成立したものと認める乙第二一号証、第二三、二四号証、証人谷村干城の証言により真正に成立したものと認める乙第三一、三二号証および右各証言、証人井上尚直、岸浪義質およびヴイ・エス・ナパルカの各証言ならびに原告本人尋問の結果(但し、井上および原告の各供述は、いずれも後記措信しない部分を除く。)総支配人カブラールは出張先で、原告が同年八月一四日副支配人パルレカに対してなした言動につき報告を受けて、これを重視し、帰京後、パルレカと協議の結果、職場規律の維持上、原告の右言動を放置し難いとし、原告に将来を戒告するため前記書簡を交付したところ、組合は右書簡をもつて原告に対する不当な懲戒の予告であつて、組合活動に干渉して組合を圧迫する意図によるものであるとし、同月二七日被告に右書簡の撤回を要求したものであること、そして被告は右要求につき組合の申入により右同日および同年九月三日から五日にわたつて組合と団交を重ね、その際、原告の前記言動の発端となつた昼食休憩時間変更等の問題をもつて被告の指揮下に行わるべき就労に関する事柄であつて、本来組合の介入すべきものではないとし、原告において右言動を正当視するに足る格別の理由を示さない限り、右要求に応じ得ない旨の意見を開陳したこと、しかるに、組合はこれを首肯し難いとして同月六日被告に団交の即時再開を申入れ、その総支配人カブラールが同月一〇日の団交開催を約し、かつ事情が許せば、同月八日に繰上げて開催すべく、その場合には事前に連絡する旨を付言したところ、右同日原告その他組合員においてカブラールが所用のため他出しようとするのを引留めて同日中の団交開催如何の回答を迫り、同人から帰行後まで回答を保留されると、東京支店の組合員六名(これに対し、非組合員は総支配人以下管理職四名および事務職員三名の計七名であつた。)において、被告に解決の誠意がないとして、争議手段に訴えても要求を貫徹すべき気運となり、無記名投票による全員一致の決議に基き総支配人カブラールおよび副支配人パルレカの他出中の正午、被告に斗争宣言を発して、直ちに右組合員全員のストライキを開始したものであること、一方、大阪支店の組合員一四名(そのうち、運転手一名およびタイピスト三名を除く一〇名は事務職員であつたが、その一名は当時病気で欠勤していた。これに対し非組合員は支店長以下管理職四名および秘書一名であつた。)のうち、事務職員の樋口浩一ほか一名は右団交に参加するため同月一、二日頃休暇の許可を得て上京し、次で馬場政雄ほか四名も同一目的で同月五日特別休暇を申請し、これを許可されないのに上京し、いずれも、そのまま東京支店の争議に参加したものであること、そして、東京支店の組合員全員および大阪支店の上京中の組合員七名はストライキ決行と同時に外部の支援労組員約五〇名とともに、野村建設工事株式会社所有の貸室ビル(大和銀行その他も事務所を設けている。)一階内部の一般玄関を入つて左側に所在する被告東京支店の店舗(その行内には支配人室に店舗兼用の二個の事務室が続き、次で食堂および倉庫が並んでいる。)から、支配人補佐ヴイ・エス・ナパルカおよび日本人顧問岸浪義質を残して事務職員たる非組合員全員を締出して、これを全面的に占拠し、かつ右ビルの出入口附近にかけて屯ろし、大勢で労働歌を放唱して喧騒にわたり、右ビルの管理人から再三抗議を受けながら、右状態を持続し、一時は総支配人兼東京支店長カブラールおよび副支配人パルレカの入行まで阻止し、超えて同月一〇日午後八時頃には丸の内警察署の勧告に従い、支配人室およびその隣の事務室から退去したが、その後もストライキ終結時まで右店舗に通じる内廊下附近においてピケツチングにより非組合員、時には顧客の入行を阻止し、また右争議中、店舗の道路に面する外壁および窓ガラスならびに行内事務室の内壁等に多数のビラ類を貼り付け、右ビルの管理人が手配して剥がすたびに、これを繰り返し、そのため大和銀行その他の右ビルの貸借人から右管理人に苦情が持込まれたことが認められ、原告が後記のように組合活動を積極、活溌に行い組合の中核的存在であつたことならびに右書簡が直接原告の行動に関するものであつたことから推すときは、組合の右書簡撤回要求ならびにこれに続くストライキの決行および争議活動はすべてその執行委員長たる原告の指導によるものであることを認めるに難くなく、右認定に牴触する証人井上尚直および原告本人の各供述部分は信用することができず、甲第二二号証の一ないし一一、証人井上次郎、原田実、井上義雄および馬場政雄の各証言によつても右認定を覆すことはできない。
(二) 右事実の評価および解雇権の濫用について
右争議の発端となつた総支配人カブラールの前掲書簡および原告の懲戒事由を記載した前掲通告書の各文面に前出乙第二七の二、証人パルレカの証言を併せ考えると、被告が原告の懲戒解雇を決意するにいたつたのは原告が昭和三三年八月一四日組合員の昼食休憩時間の変更等の申入に際し副支配人パルレカに対してなした言動およびこれに関する右書簡の撤回を要求して組合をしてストライキを決行させ、その争議行為を指導した行動を重視し、原告の平常の勤務態度等を勘案したことによるものであることが認められる。
考えてみると、昭和三八年八月一四日副支配人パルレカが原告から原田実ほか組合員の昼食時間変更等につき被告に許可を求められた際、原告に一〇分間の猶余を求めたうえ原田を出頭させて業務の都合を確かめようとしたのは使用者の従業員に対する就労上の指揮命令権に発する当然の措置であつて、なんら非難さるべき筋合はない。しかるに原告が、これに対しパルレカの非を鳴らし、退室を促されながら、よういに従おうとしなかつたのは従業員として越軌の沙汰であるとの譏を免れず、原告が組合を代表して許可を求めたものであることによつて評価が動くものではない。もつとも、パルレカが当初、原田の出頭を求める理由を説明しなかつたことが原告の言動の一因をなしたものと推測されないではないが、パルレカは、これに先立ち原告に対し一〇分以内に回答すべき旨を告げたのであるから、原告から組合代表者を差し置いて事を処理しようとしたとして攻撃されるいわれがない。したがつて、総支配人カブラールが前記書簡をもつて原告の右言動を捉えて、その将来を戒告したのは、これまた使用者に許される当然の措置であつたといわなければならない。しかるに、組合がこれを執行委員長たる原告に対する不当な懲戒の予告であつて、組合活動に干渉し組合を圧迫する意図によるものであるとして、その撤回を要求したのは書簡の趣旨を曲解し、独自の観点から事態を深刻過大に受け止めたものというほかはない。そして、組合が右要求に関する団交において被告から右書簡の趣旨につき右説示に帰着する説明を受けながら、これに耳を藉さず、また被告の約束した団交を二日後に控えながら、これを待たないで、争議に突入したのは右要求に固執する余り、事理弁別の域を超え、性急に失した嫌いがある。もつとも、右要求は単に使用者を苦しめることを目的とするものではなく、組合の団結権および行動権に対する干渉の排除を基調とするものであつて、その点では被告も全面的に容認すべきところである(といつても、ここでは被告に不当労働行為があつたというのではない。)以上、争議の過程において団交を通じ労使間に合理的な妥協の成立を期し得ないものではないから、右争議をもつて被告主張のように直ちに、その目的において違法であると断じることはできないが、組合が少くともストライキ決行と同時に前記態様において被告東京支店の店舗を全面的に占拠し、一時は総支配人兼東京支店長カブラールおよび副支配人パルレカの入行まで阻止したほか、その後もストライキ終結時まで非組合員および顧客の入行を阻止し、また右店舗が所在する第三者所有の建物の外部にビラ類を貼り付けたことは、いずれも、争議手段として許される正当な範囲を逸脱したものというべきであり、争議の目的が客観的には被告において、とうてい応じ難いと思われる右書簡の撤回要求以外に、さし迫つた具体的要求になかつたことに徴すると、右のような違法な争議手段が被告のよく忍び得るものでなかつたことは推量して余りがある。そして、組合の右書簡撤回要求ならびにこれに続くストライキの決行および争議活動がすべて組合の執行委員長たる原告の指導によるものであつたことは前記認定のとおりであるから、被告がこれに原告の対パルレカの前記言動を考え併せ、かつ前出(一)の1ないし4にみられた原告の行動を参酌して原告を懲戒解雇すべく決意するにいたつたことは、まことに無理からぬものがあつたというべきである。
したがつて、また右懲戒解雇の意思表示をもつて解雇権の濫用に当るとすべき理由はない。
(三) 不当労働行為の成否について
右懲戒解雇の意思表示が前記懲戒事由の存在を縁由としてなされたのであつても、被告に不当労働行為意思が存し、これが事を決する支配的原因ではなかつたかについては、さらに考究を要する。
1 (原告の組合活動)
被告の東京支店の従業員が昭和三一年三月五日、大阪支店の従業員が同年六月それぞれ従業員組合を結成し、同月中これを統合して、いわゆる組合を組織したこと、原告が東京支店従業員組合結成と同時に、これに加入して執行委員長に選ばれ、組合発足と同時に、その執行委員長となり、その後引続いて同役職に就き、昭和三三年三月から八月まで組合の上部団体たる外銀連の副執行委員長であつたことは当事者間に争がなく、原告が当時、外銀連争議対策部長を兼任していたことは原告本人尋問の結果に徴して明らかである。
そして、証人井上次郎、馬場政雄および吉富雅雄の各証言ならびに原告本人尋問の結果によれば、被告の東京および大阪各支店に勤務する日本人従業員は、かねてから不満としていた待遇を改善するため組合を結成し、その後被告に経済的諸要求を示して団交をし、また争議に訴えて次第に、その要求を実現したが、原告は組合のさような団体行動において、執行委員長として常に組合の中核となり、最も積極的に活動して、使用者たる被告にも顕著な指導的役割を果し、組合員の信望を集めたことが認められ、右認定に反する乙第二八号証、乙第二九号証の一、三の各記載部分は採用し難い。
2 (被告の組合に対する態度)
原告が挙示する被告の反組合的態度の事例の存否ないし本件における意味合いを検討する。
(1) 証人馬場政雄、樋口浩一および谷村干城(但し、後記措信しない部分を除く。)の各証言によれば、被告大阪支店長コピカは同支店の従業員が東京支店に呼応して従業員組合の結成準備中の昭和三一年五月一五日従業員全員を集めて組合活動は銀行員がなすべきものではない旨を説話し、次で同月二三日従業員各別に組合加入の意思を質問し、かねて用意の紙面に回答を記入させ、また同年六月一一日従業員馬場政雄が右組合結成を推進させていることを不満とし、同人を理由なく殴打して、組合の結成を阻止しようとしたことが認められ、右認定に牴触する証人谷村干城の供述部分は信用しない。
そしてまた、成立に争のない甲第三号証、証人井上次郎および吉富雅雄の各証言ならびに原告本人尋問の結果によれば、被告は同年三月東京支店従業員組合から、また同年六月組合から相次いで経済的諸要求を提示のうえ団交の申入を受けながら、よういに応ぜず、これにつき組合の陳情を受けた駐日印度大使ビー・アール・セインから勧告されて、同年八月ようやく組合と団交したことが認められ、右認定に反する証人パルレカの供述部分は信用しない。
しかしながら、前出乙第二七号証の二、第三〇号証、証人岩本正子およびエヌ・エス・パルレカの各証言によれば、その後、被告の在日総支配人兼東京支店長カブラールは昭和三二年五月二一日前任者ケイ・エス・チヤタベデイに替つて就任し、それ以来毎週水曜日には東京支店において原則的に懇談会を開いて、その労働条件等につき日本人従業員と話合い、その待遇改善に考慮を払うとともに組合との団交をも厭わなかつたことが認められるから、ほかに特段の事情でもない限り、チヤタベデイ時代に生じた組合結成阻止、団交拒否などの事実だけで、カブラール時代の被告の反組合的意図の存在を云為するのは早計である。
(2) 組合が昭和三二年三月二五日以降ストライキを行うべき旨を事前に被告に通告したこと、一方被告が大阪支店の従業員谷村干城を職制に任命したことは当事者間に争がなく、成立に争のない甲第八号証、乙第三六号証、証人井上次郎、馬場政雄、樋口浩一および谷村干城の各証言によれば、組合は同月一八日被告に賃上げおよび人員増加ならびに退職金、傷病手当、時間外手当等に関する規定を含む労働協約締結を要求し、ストライキに訴えても、これを実現すべき意向を示し、被告との団交に備えて、谷村を加えた大阪支店の組合員若干名に上京方を指令したところ、その上京を予定していた同月二五日の直前に谷村が被告から大阪支店の支配人代理に任命されて組合員の資格を失い、上京を取り止めたため、これに代えて急遽、組合員の山口次郎を上京させたことが認められる。原告は被告が組合にとつて斗争上、重大な時期に組合の重要人物たる谷村を昇格させて組合員資格を失わせたのは組合の団結の弱化を図つたものである旨を主張するが、谷村が特に組合活動家として組合に欠かせぬ人物であつたことならびに被告が右発令に当り、谷村の右組合用務による上京の予定を知つていたことを認むべき証拠はないのみならず、証人エヌ・エス・パルレカの証言により真正に成立したものと認める乙第一六ないし第一八号証および右証言、証人谷村干城の証言によれば、被告の総支配人(在ボンベイ)デイ・アール・ソムは昭和三〇年一〇月には既に業務の都合により被告の大阪支店に日本人管理職員(パープロ・マネージヤー)を置くべく考慮し、その候補者に谷村を擬し、昭和三一年四月一六日その当否等を当時の在日総支配人チヤタベデイに問わせたところ、同人が昭和三二年二月二三日谷村を推挙したので、チヤタベデイに指示して谷村をパープロ・マネージヤーに昇格させたものであつて、チヤタベデイによる右昇格の承認が前記時期になされたのは偶然の一致にすぎないことが認められるから、原告の右主張は当らない。
(3) 被告が組合の右要求につき中労委の斡旋案を受諾して同年五月一日組合との間に協定を締結し、これにより従業員の賃上げについては同年四月以降、平均一八パーセントの賃金増額をすること、ただし、そのうち一〇パーセントは一律に増額し、残八パーセントは、これに相当する金額をもつて同年度定期昇給と見合わせ、かつ家族の多い者の賃金改善を配慮して各人の賃金調整に充てることを約し、これに基き同年五月頃一律一〇パーセントの増額分を支給し、同年七月初旬頃残八パーセントに相当する金額をもつて、まず扶養家族一人当り二五〇円、次で従業員一人当り八〇〇円に割り当てて、これを支給し(ただし、東京支店においては当時傷病休暇中の織田行雄を除いて)東京支店においては、その残額一一〇〇円を、岩瀬雅楽および岸重道に各四〇〇円、徳島昭雄に三〇〇円を配分して、支給したことは当事者間に争がない。原告は最後の一一〇〇円の配分をもつて非組合員たる岩瀬ならびに組合員でありながら組合に非協力的であつた岸および徳島の三名に対する差別的優遇であると主張し、被告が組合の再考要求に対し首肯させる説明をしないで支給を強行実施したと攻撃するが、証人パルレカの証言によれば、被告は右最後の配分を決定するについては従業員の担当職務の内容およびこれに対する能力の特性を勘案したものであることが認められ、その間に格段の疑念を起す根拠となるべき事実を示す証拠はなく、また岸および徳島が組合に非協力的であつたこと、ないし、これを被告が承知していたことを窺うに足る証拠はないから、原告の右主張は採用に値しない。
(4) 証人パルレカの証言によれば、被告東京支店の副支配人パルレカが昭和三二年七月頃、当時傷病休暇中の組合員織田行雄に対し、同支店の従業員岸重道を介して見舞金五万円を交付したことが認められる。原告はパルレカの右所為をもつて、同人が組合から織田の給与支給方を要求されたのに対し岸重道を抱き込んで、一方的に結着を付けたものである旨を主張するが、右主張を肯定すべき証拠はない。
(5) 被告の副支配人パルレカが徳島昭雄の申込を受けて同人に金銭を貸与したことは当事者間に争がなく、証人パルレカの証言によれば、右貸付金は三万円ないし五万円に上つたことが認められる。原告はパルレカの右融通をもつて徳島昭雄の日頃の使用者に対する迎合的態度に応じ、その反組合的態度を助長したものである旨を主張するが、右証言によれば、加えて、パルレカは徳島に対し、その一身上の事由に基く窮状を救うため私財を貸与したにすぎず、東京支店の組合員に対しても同様の処置をしたことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はないから、仮に徳島が使用者に対し迎合的態度を執つていたとしても、パルレカの徳島に対する行為をもつて直ちに原告主張のような意図に出たものとは認め難い。
(6) 徳島昭雄が昭和三三年五月二六日から三日間無断欠勤したこと、これに対し被告が問責しなかつたことは当事者間に争がなく、原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認める甲第一一号証の一および右尋問の結果によれば、徳島が、これよりさき昭和三二年七月二六日組合を脱退したことが認められる。原告は被告の徳島に対する欠勤不問をもつて非組合員の差別的優遇である旨を主張するが、成立に争のない乙第二九号証の二、証人エヌ・エス・パルレカの証言によれば、徳島の前記無断欠勤は同人が被告に年次休暇を届出たところ、たまたま、その時季がタイピストの岩本正子の届出た休暇の時季と重なることが判明したので、同人と相談して、自己の届出た休暇の時季を変更することにしながら、被告にその旨を届出るのを忘失したことによるものであつたこと、これがため、徳島はその直後、副支配人パルレカに非を認めて陳謝したので、パルレカも、その事情を諒解して問責しなかつたものであることが認められるから、右事実から原告主張のような被告の差別待遇意思を汲み取ることはできない。
(7) 被告が同年七月従業員の家族手当として妻につき一五〇〇円、第一、二子につき、いずれも五〇〇円を支給し、その余の家族については支給しないこととし、同月から実施し、なお昭和三二年四月以降に婚姻した者に対しては、その婚姻時に遡及して実施したことは当事者間に争がなく、前出乙第二九号証の一、証人エヌ・エス・パルレカの証言によれば、徳島昭雄はただひとり、右遡及実施の対象となつたことが認められる。原告はこれをもつて徳島に対する前同様の差別待遇である旨を主張するが、前出乙第二七号証の二、成立に争のない乙第一五号証および証人エヌ・エス・パルレカの証言によれば、被告は昭和三二年四月の前記賃上げ実施に当り、扶養家族一人当り二五〇円の増額支給をなした関係上、昭和三三年七月実施の家族手当の支給については扶養家族一名当り二五〇円を控除するとともに、右賃上げ実施の時期と家族手当支給実施の時期との間に扶養家族が生じながら、これに見合う賃金増額の利益を受けなかつたものに対し家族手当支給の実施を遡及させたものであることが認められるから、徳島ひとりが、その遡及実施の対象となつたからとて、さして怪しむに足りない。
(8) 原告は前出(一)の3および5の原告の行動に対する被告の各措置をもつて、不当労働行為の意思によるものである旨を主張するが、前説示から明らかなように被告の右各措置は相当であつて、その間に原告主張のような意思の介在を認めることはできない。
そのほか、被告が組合に対し格別の不当労働行為意思を有したことを表す事例の存在については、これを認むべき証拠がないから、被告の組合に対する関心が原告に対する懲戒解雇の意思決定を左右したものと考えることはできない。
四 そうだとすると、右懲戒解雇の意思表示は有効であつて、原、被告間の雇傭関係は右意思表示が原告に到達した昭和三三年九月二五日限り終了したものというべきである。(なお、右意思表示においては、同月二〇日付で解雇する旨が表示されたが、右意思表示の効力が同月二〇日に遡つて発生すべきいわれはない。しかし、いずれにしても、原告が同年一〇月分以降の賃金債権を取得するものでないことに変りはない。)
よつて、原告の本訴請求は失当として棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 駒田駿太郎 高山晨 田中康久)